平戸・キリスト教布教の歴史
⑤密かに信仰をつたえてきた行事などを続ける
禁教が解かれたあとも、禁教時代に密かに守ってきた信仰の仕方を継続した人たちがいました。彼らと彼らの信仰は「かくれキリシタン」と呼ばれています。彼らは、この地で信仰を守って亡
くなった祖先と亡くなった場所を聖地として崇拝しています。
彼らは、こんにちのキリスト教(カトリック)とは異なり、教会を持たず、また禁教時代に取られた、かくれキリシタン信仰と、仏教や新道を並行して行うスタイルをそのまま続けています。しかし、かくれキリシタン信仰だけに注目すると、戦国時代から江戸時代のはじめにかけて行われていたキリシタンの信仰の姿を、概ね保持していると考えられるのです。
⑥ふたたびキリスト教の信仰を行う
1853年(嘉永5年)のペリーの来航で、日本の鎖国は終わりますが、その後、長崎の外国人遺留地に建てられた大浦天主堂に潜伏キリシタンが訪れたことで、日本に長い禁教時代を耐えて、キリシタンの信仰を続けた人々がいたことが、広く知られることになります。
1873年(明治6年)には、明治政府がキリスト教の近況を解除することになり、カトリックの神父が各地で布教を行った結果、大勢の潜伏キリシタン信者が合流し、潜伏信者の集落には、教会堂が次々に建てられていきました。
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