志々伎神社は、平安時代に成立した延喜式(えんぎしき)神名帳に名前があります。この神名帳に記載されているものは式内社(しきないしゃ)と呼ばれ、肥前国には四社しかありません。
祭神のひとつである十城別王(とおきわけのみこと)は、海上交通の守護のため朝廷から遣わされたとされています。
上宮は志々伎山の山頂に石祠が祀られています。この上宮に行くには、ひと昔前までは靴を脱いで登るほど神聖な場所とされていました。
中宮は、現在の社殿から200mほど登った場所にあり、石垣で囲まれた敷地から当時の様子が分かります。
現在の社殿は、寺屋敷と呼ばれていた場所で、神宮寺(式内社に付属して建てられた寺)であった円満寺があった場所だと推定されています。