平戸神楽の由来は、元亀年間(1570〜1573)に松浦氏の領地となった壱岐の神職が、平戸の松浦氏の居城をおとずれ、壱岐の御竈祭の神楽を舞い、その後に平戸の神職も加わって神楽が行われるようになったといわれています。
現在の平戸神楽の基礎は、松浦家29代鎮信(天祥)の時代に、神職で国学者であった橘三喜が、正保年間(1644〜1648)に全国各地の一の宮を巡拝して調査研究を重ね、24番におよぶ平戸神楽を完成させたと伝えられています。
平戸神楽を代表する「二剣」は、真剣3本を使うことから別名「三本舞」とも呼ばれ、舞手の技術力・体力・集中力が求められる最も難しい演目であり、「二剣」の出来で神楽全体の完成度が決まるともいわれています。
平戸神楽は、宮崎県の高千穂神楽とともに九州を代表する神楽であり、昭和62年1月28日、同じ旧藩領内の壱岐神楽とともに、国の重要無形民俗文化財に指定を受けました。