生月島の堺目は戦国時代、キリシタン領主・籠手田氏の領地でした。
1561年(永禄4)に書かれたアルメイダ修道士の書簡には、彼がこの年、堺目に教会を建てた記録があり、建てられた場所は焼山付近と推測されています。
1587年(天正15)豊臣秀吉が伴天連追放令を出した時には、日本中の宣教師が生月島に集結しますが、一時期、堺目の教会に小神学校(セミナリヨ)が置かれています。1599年(慶長4)籠手田氏・一部氏が長崎に退去した後、教会堂は破壊されたと思われますが、『田舎廻』には、焼山でキリシタンの死体を焼いたという伝承が紹介されています。