彼はもと籠手田氏の家臣でしたが、籠手田氏が1599年(慶長4)に長崎に退去した後も生月島に残り、信者を指導していました。しかし松浦鎮信(法印)の命で逮捕され、1609年(慶長14)11月14日妻子共々処刑されます。
ちなみに黒瀬とはクルス(十字架)がなまったものと考えられ、西が処刑に際し、かつて十字架や信者の墓地があった場所で処刑、埋葬された史実とも繋がっています。
1992年(平成4)同地にカトリック信者によって祈念碑が建てられました。
2008年(平成20)には、西玄可と妻子が福者に列せられています。