平戸の秋の例祭「おくんち」
平戸地方では、秋の収穫を感謝して10月から12月にかけて、各地で「おくんち」と呼ばれる氏神の祭りが営まれます。
なかでも、最も規模が大きいのが亀岡神社の例大祭で、毎年10月24から4日間にわたって行われます。
亀岡神社は、明治11年霊椿山(れいちんざん)神社、乙宮(おとみや)神社、八幡神社、七郎神社の4社が合祀されました。
「おくんち」は19世紀頃に七郎神社で行われていた祭礼を踏襲しているといわれています。
神輿が練り歩く「神幸(みゆき)」に、武者行列や龍踊りが連なり、町じゅうが「おくんち」一色になります。
一番の見どころとなるのが、神事である「平戸神楽(かぐら)」。
「平戸神楽」は、七郎神社の神職家に生まれた橘三喜(たちばなみつよし)が諸国を巡り、各社の神楽を調査研究し、24番までの舞として完成させたと伝えられ、国指定重要無形民俗文化財にも指定されています。
毎年10月26日午前11時頃から日没後まで、数時間かけて「平戸大々神楽」全24番が通しで奉納されます。
領主松浦氏を祀った「亀岡神社」
「平戸神楽」が行われる「亀岡神社」は、平戸城の城内に建てられており、この地を長く治めた松浦氏を祀った神社です。
平戸藩は、領主が変わることなく、ずっと松浦氏がおさめていました。
松浦氏は、平戸港を窓口に、16世紀中頃から17世紀中頃まで外国との交易を盛んにおこない、この地で盤石の地位を築きました。
高台に建つ見奏櫓からは港を見渡すことができます。松浦氏も、この高台から外国船が行き来するようすを眺めていたのかもしれません。
平戸くんちにまつわる場所を辿る
「平戸くんち」の神幸は、毎年、武者行列などを引き連れ、まちを練り歩きます。
平戸城から、城下へと、神幸のルートを辿って降りてくると、景観資産に登録されている酒造の建物がみえてきます。
こちらではなんと、世界遺産である春日の棚田で収穫された「棚田米」を使用したお酒も造られているそうです。
子どもの頃、神幸の行列に参加していたと語るのは、森酒造の森雄太郎さん。
「平戸くんち」といえば、商店街の露店や、神幸の行列の思い出が印象深く、地域の小学生からも行列の参加者を募り、町を練り歩くのだそう。
地元の人々にとっても、年に一度、大人も子どもも揃って参加する大きな楽しみとなっているということが、お話から伝わってきました。
「三浦按針(ウィリアムアダムス)終焉の地」や、「英国商館跡」など、歴史の足跡を感じながら進むと、平戸の観光スポットのひとつ「寺院と教会の見える風景」の近くに差し掛かります。
お寺の敷地の向こうに見えるのは、平戸ザビエル記念教会のグリーンの屋根。
歴史ある和洋の建物が調和する、独特の町並みを作り出しています。
この瑞雲寺の敷地の一角にある、「コルネリアの供養塔」は、平戸のオランダ商館長と、日本人女性との間に生まれたコルネリアが、亡き父のために建てた塔なのだそうです。
宮の町コミュニティセンター横、2階建ての駐車場の脇には、小さなお社があります。
ここに亀岡神社に合祀された4つの神社のうちのひとつ「七郎神社」がありました。
「平戸神楽」を完成させたといわれる橘三喜(たちばなみつよし)が神職を務めていた神社です。
現在、「平戸くんち」の神幸が立ち寄って、神事をおこなう場所でもあります。
さらに神幸の進むルートを辿ると、「大ソテツ」や「六角井戸」がある通りにさしかかります。
オランダ、イギリスとの貿易が盛んにおこなわれていた江戸時代初期、このあたりには大きな貿易商が軒を連ねていました。
この大ソテツは、貿易商のひとつである川崎屋の庭に植えられていたものだそう。
天満宮の登り口に、今や自分だけではその身を支えられないほどに大きくのばした枝が、その歴史を感じさせます。
町や人が変化していくなかで、変わらずにずっと「平戸くんち」を見守り続けてきた木でもあります。
大ソテツから少し道を進むと、六角井戸があります。
戦国時代には、このあたりには多くの明の商人が暮らしていたと言われており、この六角井戸も、当時、明の様式で造られたと考えられています。
長崎県指定史跡にもなっており、板石で六角形に囲われた大変珍しい形をしています。
さらに進んでいく、「松浦史料博物館」が見えてきます。
ここは、「旧松浦家住宅」として長崎県指定有形文化財にもなっており、平戸松浦家にまつわる貴重な史料が展示されています。
背景にある歴史を知ると、このレトロな街並みも、なんだか深みを増すような気がします。
古くから、「平戸くんち」を育て、見守ってきた平戸の町。
その長い時間を思いながら歩いてみると、歴史や伝統あふれるレトロな町並みも、また違った一面が見えてくるようです。