はじめに
そもそも八十八ヶ所巡りとは、弘法大師空海が修行した場所を霊地として、その足跡を慕い巡礼することを発祥としています。平戸の田の浦には、空海がここから唐に出発したという伝説も残っています。
平戸の八十八ヶ所は、第三十五代平戸藩主松浦熈公が安政二年(1855)に定められたとされています。
その発端は、「平戸八十八ヶ所縁起」によれば、以下のようなものです。
弘化三年(1846)に、平戸島中が熱病にかかり、藩主も大変な熱に悩まされていました。その時、夢にお告げがありました。それは、「平戸島の神仏の霊場は人が知らないところが多い。これを巡礼できるようにしたならば、この病気が治るであろう」というものでした。藩主は「これは天満宮の教えか」と悟り、志を立て、平戸島を巡回したところ、その熱病は嘘のように治りました。その時、巡回した霊場が丁度、八十八の数になったと言い伝えられています。
平戸の八十八ヶ所の特徴は、病気平癒の道場であるということです。また、神仏、仏閣、三界万霊を札所にしており、仏閣も真言、浄土、禅、真宗と各派に及んでいます。
この八十八ヶ所は、松浦熈公が定めた八十八ヶ所を基本として、現在札所に行くことが困難な場所を除き、新たに「平戸島八十八ヶ所」として定めたものです。宗教宗派を越えて神仏への祈りを為すことのできる道場となっています。
また、平戸の八十八ヶ所は、自然の中を歩き、同時に歴史も感じることができます。この平戸島八十八ヶ所巡礼道に、きっと心が癒されるでしょう。
平戸島八十八ヶ所巡拝協議会
殖産奨励や農地改革などで名君の誉れ高かった観中熈公は、文化人としても名を馳せた人物です。
蹴鞠・能・詩歌に秀で、書家としても有名。文教行政にも力を注ぎ、歴史の編纂や出版事業なども手掛け、藩内の景勝を北松八景として顕彰したのも熈公。
開設した別邸、梅ヶ谷津偕楽園、普門寺、棲霞園は、当時の文化の高さを今に伝える貴重な財産となっています。父君は「甲子夜話」で有名な静山公で、姫君は中山愛子様(明治天皇のご祖母様)。墓所は木ヶ津町の普門寺。夫人蓁姫と共に自ら作った庭園の中に眠っています。
空海は、平安時代初期の僧で、弘法大師の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。
空海ゆかりの地として知られる田の浦は、807年7月6日にこの地を船出したとされ、空海は風まちのためしばらく滞在し、遣唐使として唐からの帰朝の折には、西高野山最教寺において護摩供養がなされた。この像の高さは、7mで台座を含めると16mあり、石像としては日本一の空海像を誇る。
(現地案内板より引用)