平戸島の北方約15kmの玄界灘に浮かぶ的山大島は、大島フェリーで約45分の位置にあります。
島内では弥生時代の遺跡である長畑馬場遺跡や大根坂遺跡などが調査され、原始のころより人類の活動拠点のひとつとなっていたことが分かっています。
古代、中世に入ると、史料の中に大島の名がみられるようになり、この時期は前平と呼ばれる地区を中心に政務が行われていたようです。
17世紀に入り平戸松浦藩より大島政務役が派遣された後から神浦湾を挟むように神浦が集落として発展していくこととなり、その中心となったのは井元氏が行った鯨組の経営でした。
敷地は山側の奥行きが浅く、海側は奥行きが深いという特徴があり、これは鯨組創業時にある程度の敷地を確保するために埋め立てによって土地を開発した結果と考えられています。
18世紀に入り鯨組は廃業となりますが、これらの施設跡地にも町屋が建てられ、今日の街並みの骨格ができあがっていきました。現在でも江戸時代中期から昭和初期までの建物が、道の屈曲に沿うように建てられていることも特徴の一つです。
保存地区の範囲は現在約21.2haで、神浦の集落だけでなく、海、河川の水面、周辺部の高台に立つ神社や旧耕作地等を含んだ範囲になっています。